【2ch】翻訳コメ保管処【ノイビルスレ】
2006年5月15日 来週が楽しみだぜゴルア。

ノイビル代表選出おめ。このスレ、別の方が立ててくれて、みんなで長い間保守ってくれてダンケダンケ (´・ω・`)
ずっとさぼってたが(スマソン)、代表選出記念で、一夜限りの...



よぉオマエラ。

 オマエラも、漏れと一緒で、今日の午後はテレビの前で釘付けになってたんだろ、
で、W杯代表選手の発表を見守ってたっつぅわけだ。ぶっちゃけ、自分が代表入り
するっつぅのは、今朝知ったんだ。クリリンの野郎が漏れ様に電話してきやがったからな。
もちろん、むっちゃ嬉しかったぜ、代表に呼ばれたわけだし、(スイスのジュネーヴで合宿
をする)来週が楽しみで仕方ねぇ。他は誰が呼ばれたかについては、漏れも記者会見で
初めて知ったぜ。ダヴィドのうどん粉野郎が呼ばれたのは確かにビッグサプライズって
やつだな、あとイェンス・ノヴォトニーの野郎が呼ばれたのはスゲエ嬉しいよ。イェンスの
野郎は、なんだかんだ言っても、薬屋時代の古いつきあいよ。ベルント・シュナイダーとか
ミヒャエル・バラックといった連中と同類だわな。つーか、あの頃つるんでた仲間が、
みんないるじゃねえか!(´・ω・`)ノ

 明日、出発早いんだよな。まず、フランクフルト集合で、5部リーグのルッケンヴァルデ相手に
練習試合かまし、それから夜にはサルディーニャへ向けて漏れらの飛行機が飛び立つってわけよ。
漏れらは日曜までそこに滞在して、次のキャンプ地ジュネーヴに向かう。とにかくまず大事なのは、
リフレッシュすること、けどもちろん幾つか練習メニューも組まれるみたいだけどな。漏れら選手は
家族をサルディーニャに呼んでもいいってことらしい。漏れはまぁ一人で逝くことになりそうだ、
つーのも、うちのガキは残念ながら学校逝かなきゃいけねぇからな。あぁ、もち学校優先だよな。

 ホントに出発しちまう前に、もう一度、あのブンデスリーガ最終節、それからシーズン全体について、
振り返っておきたいよな。漏れらメンヒェン野郎はむちゃ嬉しかったぜ、だって、フランクフルトまで
逝ってアウェーでの勝利をもぎとったわけだしな。前半はぶっちゃけ良い内容とは言い難いわな、
けど後半になってから、ガンガン攻め立てて、終わってみれば2-0よ。チャンスをうまく活かしたっ
つぅか、明らかに相手をリードしてたよな。個人的には、もちろん自分のゴールがすげぇ嬉しかったぜ。
それに重要なのはW杯に向けて自分にとって大きな自信につながったってことだ。

 モマエラの耳にも伝わっていると思うが、ケッペルの爺さんが解任されちまった。決定はクラブに
よるものだから、従わなきゃならねぇ。けどよぉ、漏れがまだ思うに、あいつはメンヒェンで良い仕事
したんじゃねぇか。ここ数年の中じゃあ、いいシーズンだったじゃねえか。だって、シーズン通して
ずっと降格とは無縁だったわけだしな。ケッペル爺がやったことは、絶対全部が間違ってたわけ
じゃねぇと思う。とにかく、爺さんこれからも幸せにって祈ってるぜ。

 さてさて、んじゃ来週ジュネーヴからまた書くぜ。それまで、元気でな。(´・ω・`)ノ

 モマエラの おりばー・のいびる


2006年8月28日 開幕スタートダッシュ成功!代表チームのコト、そしてウ・ワ・サの真相

翻訳職人さんみたいに上手くできなかったけど
がんばって訳してみた。
誤訳は、お手柔らかにご指摘ちょ。



よぉ、おまいら!

 ここんトコロ、ホントに忙しくて長い間書いてなかったからな。
今日は、まとめて書き上げてやるぜ(`・ω・´)ノ

 まずは、今シーズン、ボルシアMGがホントいいスタートを切れたことを報告したい♪
おれらは、ホームゲームを2回とも勝って、すでに勝ち点6をゲットしてるんだぜ。
まぁ、残念なことに、ココ一番の試合を落としてはいるがな。
 ニュルンベルグではいい仕事っぷり見せて、勝ち点3を獲得するつもりだったんだ。
だけどよ、勝利ってやつは、やつら側からこっちには来なかった。
 まったく、呪縛にかかったようだったぜ・・・ (´・ω・`)

 それで今度は、今季初、代表の遠征試合だぜ。数日の間に、ユーロ予選の初めの2試合、
――むちゃ大事な公式戦が2つも予定されているんだ。
 1試合目は、バリやばい相手、アイルランドが立ちはだかっている。
こいつぁ、甘く見ちゃいけねぇ。でも、おれらはホームで戦える、おまいらの声援で
完璧にサポートされるって訳だ。
 この前の、ゲルゼンキルヒェンでの対スウェーデン親善試合でも、あのムードは
WMの再来か!という位に最高だったからな。
 絶対、〔アイルランド戦がある〕シュツッツガルトでもそうなるぜ。

 その後は、対サンマリノ戦のアウェイゲームだ。そこでも、おれらは注意しなきゃ
なんない。実際、このような対戦相手は、おれらを苦しめることができるからな。
 ここで、勝ち点3は、何が何でも必須だぜ!
 まぁ、おれらが勝てると、信じてるがな。

 ところで、おまいらのゲストブックを今一度、通して読ませて貰った。
おまいらの書き込みには、いつも喜ばせてもらってるぜ! 

 んで、エマンドたんから、ジェフ・シュトラッサーの移籍についてどう考えるか
質問があったからな。簡単にだが答えようと思う:
 ジェフが行ってしまうのは、もちろん残念なんだが、おれ個人的には、ごく自然なこと
だと思ってる。彼は、おれらのキャプテンで偉大な仲間だった。おれは、いつも彼と
通じていたし、彼がストラスブール〔仏のクラブ〕に行った今でも、そしていつまでも
付き合いを続けるさ。
 でも、彼がストラスブールの戦力に挙げられているんなら、移籍は彼にとってベスト
だと思う。ここボルシアMGだと、監督が彼を数に入れていなかったからな。
 おれは、彼にはなむけの言葉を贈るぜ(`・ω・´)ノ 
新しいクラブで、すべてが上手くいくように!

 ・・・で、ウワサってのは、他でもない、おいらが何度も見かけた「結婚」に
ついての書き込みのことだ。
 普段、おれはプライベートの話題は好まないんだが、この種のウワサについては、
この場で端的に答えなきゃ、おまいらは想像を膨らませるに違いねぇ:

      お れ に 結 婚 の 予 定 な ん て な い ぜ。

 どこからそんな話が出て来たんだか?!まったく驚いちまうぜ。

 まぁ、イイとしよう。おれに関してよくあるネタなんだろうよ。
んじゃぁ、親指丸めてユーロ予選の幸運を祈ってくれや、また、すぐに書くからさ。

おまいらの おりばー・のいびる (´・ω・`)ノ


2006年9月8日 代表試合が終わって、次はDFBポカルだぜ

よぉ、オマイラ(´・ω・`)ノ

 代表の遠征とDFBポカルの合間に、ちょっくらコラムをUPしてやるぜ。
おれらナショナル・チームのユーロ予選・2試合は、マジ最高っー!だったぜぇ
 アイルランド戦は、全くもって簡単じゃなかった:序盤は手堅く進められなかったんだ。
けどよ、だんだんウマく回っていって、最後にゃ勝利をもぎ取ってやったわけだ。

 そんでもって、サン・マリノでは、ちょっとした「祭り」だったぜ。勝ち方自体が、
すでに別格ってわけよ。サン・マリノが、実際「超格下」だったとしても、一試合で
13ゴールだぜ。歴史的な勝利!といえるだろうよ。

 おれは、以前、同じような格下相手に1、2ゴールしか奪えなかったコトを
覚えている。あン時は、えっらく叩かれたぜ(´・ω・`)〔フェロー諸島戦のことか?〕
 今回は、幸いなことに違ったってワケよ。

 まぁ、残念なことに、おれ自身はこのゴール・ラッシュに参加できなかったんだがな、
アイルランド戦の後、アキレス腱と脚のつけ根がイカれっちまってよ。
監督は大事を取ること望んだしな、致し方なかったよ。

 DFBポカルの対Roßbach/Wied戦に出場できるかは、残念だが、まだ分かんねぇんだ。
試合直前になってから決断するよ。是非とも出たいと思ってるがな。

 ところで、おまいらも知ってのとおり、我らがボルシアのメインスポンサー、
京セラのWebサイトで、超ビッグな抽選が始まってるんだぜ。

 おれは、「ファン特別観覧席※」が面白いって知ってんだ。だから、自分で
「シーズン・チケット」を持ってる。もし、おまいらが、おれの「シートNo.」を
当てられたら、もれなくT-シャツが当たるってわけよ。

 おれからのヒントはだな:おれは、意識的に「シートNo.」を選んでるってことだ・・・
楽しんでいってくれよな(´・ω・`)ノ。

オマイラのおりばー

※ ファン特別観覧席:
 よくわからんが、京セラ提供のボルシアファン会員サイトみたいなものらしい。
登録したら(=シーズン・チケットを持つ)自分の「席」(サイト)がもらえて、
ファン同士、交流できるっぽい。

 そんで、ノイたんの「シートNo.」を当てて、メッセージを送ると、
もれなく抽選で13×2名の方に、限定ドイツ代表T-シャツが当たるみたい。
 日本からも参加して良いのかまでは調べてナイ。ちなみに、「13」ってのは、
サンマリノでのゴール数に便乗・・・いや、ちなんでいるらしい。
外ヅラ良すぎだよ、京セラさん・・・

詳しくは→ ttp://www.oliverneuville.de/?121A0A3532521A2998 等へどぅぞ



2006年9月28日 アキレス腱にゃぁ、もうブチ切れまくりだぜ!ゴルァ

 よぉおまいら。
 長い間、書いてなくて悪かったな。ここんところ、イカれたアキレス腱を治そうと、
ムチャ忙しかったんだ。ほぼ3週間もの間、炎症が引かずに苦しんだぜ。当然、今週は
休みを取らなきゃなんなくなった。どうにもこうにも!ピッチで、いつものキレを
戻せなくて、監督と相談したんだ。

 で、お聞きのとおり、週の初めからトレーニングは休んで、リハビリに専念してる。
傷んだ腱をしっかりガードして、自転車こぎまくってるぜ。早く完璧に治しちまって、
またBMGのために一ッ働きしてやるからな。

 先週の金曜は、一発かましてやったぜ。ゴルァ!あっちのボルシア(おまいらが言う、
いわゆるjだな)を何としてもブッ叩いて、ホームを勝利で飾っときたかったんだ。
おれらは、ボルシアパークだとマジ最強っーだよな。なんたって、おまいらファンの
声援が、グイグイ後押ししてくれるからな。
対j戦じゃぁ、ちょうどイイ時分に、見事なゴールが決まってくれた。そんで、
後半にゃ、決定的なチャンスも作ったしな。終わってみりゃぁ、ホームでの3戦3勝!
として十分な内容だったんじゃないか。まず、失点なしってのが特筆すべきことだ。
んだから、このまま絶ッ好調キープは、間違いなしだぜ!ベィベェ

 あぁ、そうだ、ゲストブックでおまいら聞いてきただろ。金曜の試合終了後、
どうして他の野郎どもみたいに、ピッチでファンの歓声に応えなかったのかってな。
ってのはよ、おれは、その前に交代しちまってたから、その頃、もうロッカールームに
いたんだ。だいぶ前に戻っちまっててよ。

 今度は、アウェイで勝ち点取りたいよな。対楽隊戦は、まっとうにはいかないだろうぜ。
昨日、CLの対バルサ戦、楽隊の野郎どもは、ホントいい試合を見せてくれた。
でもな、リーガ王者っちゅう実績とその風格は、頭一つ抜きん出てたな。
昨日の試合じゃぁ、楽隊のヤツラ、我がブンデスの雄らしからぬ様相だった。
こりゃぁ、楽隊相手にオレらイケるって確信したぜ。おれは、残念ながら出場できない
だろうが、チームの面々には、ばっちし太鼓判押しといてやるぜ。

 来週は、代表のヤツラと出かけてくるよ。火曜日に、WM記録映画〜ドイツ代表
熱き夏のイレブン〜(邦題我流)のプレミア上映に立ち会うんだ。試写版を
観たときにゃ、ずっと緊張しまくり、ガクブルもんだったぜ、ゴルァ。でもよ、
ウォルトマン監督は、すんばらしい絵を撮ってくれてると思うぜ。
 今回、代表に招集されるかどうかにかかわらず、出掛けてくるつもりさ。
その時までに、アキレス腱が良くなってたらなぁ。おまいらも、親指丸めて
祈っていてくれよ。じゃぁな、また。
おまいらのおりばー



番外編

個人的に興味を持ったんで、少々古いがおひさるPressです。
既読の方は、スルーしてちょ。
コラムより難しくて、グダグダになっちまったんで、
誤訳は、例によりお手柔らかにご指摘ちょ。



2006年7月3日 
 クリンスのお墨付き、アスコーナのおちびたん
  ※アスコーナ:スイスの地名・イタリアとの国境に近い、公用語はイタリア語

 特異な経歴をもつオリバー・ノイビル――彼は、アスコーナでドイツ人の父と
イタリア人の母の間に生まれた。父親は、テッシン州(スイス南部の州)に移住し、
活躍した選手であったが、早くに亡くなった。
 なぜ、オリバーは、テッシン州生まれなのに、スイスではなくドイツ代表として
プレイするのか。

 その答えは、テッシン州に住んでいるパウリと呼ばれるドイツ人(48歳のバイエルン人)
が知っている。彼は、WMの際、コマノ(スイスの地名、アスコーナに近い)でTVの
コメンテーターとして、毎日のようにイタリア語でけたたましく解説していた人物である。

 パウリは、オリバーに特別な視線を投げかける。
 「初めてオリバーを見たのは、ガンバローニョ〔スイスのクラブ〕だったよ。そこで、
彼はジュニアとしてプレイしていたんだ。そこのコーチをしていた彼の親父さんが、
そう望んだからだよ。」
 ガンバローニョは、マッジョーレ湖を挟んでロカルノ(スイスの地名)の対岸にある。
 ※マッジョーレ湖:スイス・イタリア間にまたがる湖。

「彼の親父さん、ユップ・ノイビルは、アーヘン出身だったと思うが、ブリュール
〔ドイツの地名〕からスイスに入り、ザンクトガレン〔スイスの地名〕を経てテッシン州
に来られた。その地で、後に妻となるイタリア人女性と巡り会い、オリバーが17歳の時、
不幸にも亡くなられてしまった。
 オリバーは、アスコーナ生まれの、生粋のアスコーナっ子だよ。
オリバーが、サン・トロペで過ごした後(ヴァカンスの食前酒みたいなものだ。)、
帰省する度に、私たちは、オリバーと昔からの友人――郵便屋さんや煉瓦職人――と
一緒に、旅行に出掛けるんだ。そこでは何も変わっちゃぁいないんだ。
 オリバーは、アスコーナに家を購入しているんだ。彼は、いずれにせよこの地に
帰ることを望んでいるよ。」
 また、オリバーの母親は、この地で暮らしている。
 ※サン・トロペ:ノイビルがよく利用するらしい仏プロヴァンス地方のリゾート地。
        おそらく、この有名なリゾート地でのヴァカンスより、地元メンツでの
        旅行の方がメインだと言いたいんだと思う。

 パウリは、テッシン州の56パーセントの税率から逃れるため、一時1860ミュンヘンで
プレイをしていた時期がある。
 彼(パウリ)は、テッシン州の重要なクラブ、ルガノ、キアッソ、メントリジオット、
ロカルノで経験を積んでいる最中、重いてんかん発作を起こし、キャリアからの離脱を
余儀なくされた。
 「原因は、多分25年前〔23歳頃?〕にしたサッカーでの事故だよ。その時、私は昏睡に
陥ったんだ。X線断層撮影で、裂け目の傷跡が頭蓋骨まで及ぶのが見えるほどだった。
 でも、適切な処置のお陰で、今はもう健康上問題はないよ。
 うちの息子は今9才で、あの子には私が必要なんだ。必ずしも、トレーナーをしなきゃ
いけない訳はないしね。」〔だから解説者をしてる。〕

 パウリは、1991・92のシーズン、オリバーと1年一緒にプレイした。
「我々は、見事にプロだったよ、ナショナルリーグBのロカルノで、素晴らしい時を
過ごしたんだ。
 オリバーは、まだ若手選手に過ぎなかったけど、スポンサーとの交渉に臨んで、正式に
契約に至ったんだぜ。オリバーは、その時すでに、ロカルノでプレイしていたからね。
 実際、私は、キャリアを築くため、彼が一途になっているのを見たよ。私は、いつでも
どこでも、彼が成長するのを単に眺めていただけさ、練習後のビールのためにね。
 おれらは、彼をイタリア語やドイツ語で「おちびたん」(ピッコリーノ(伊語)・クライネ
ン(独語))と呼んでいたんだ。トレーナーのロベルト・モリニーニが、このおちびたんを
大切に育てないとって言っていたなぁ。
 その後、我々のうち5・6人は残留したんだが、オリバーはセルベッテ(スイスの
クラブ)へ移籍したんだ〔1992年ノイビル19歳〕。そして、その後500万フランもの
金額で、彼はテネリフェ〔スペインのクラブ、1996年ノイビル23歳〕へ移籍したんだ。」

 さあ、ここから謎は本格化します: テッシン州に生を受けたオリバー青年は、
いかにしてスイス国籍を捨てる選択をしたのか?
 「その謎」について、パウリは「単に過去のこと」とはぐらかす。

 「オリバーがテネリフェでプレイしているとき、スイス国内では、てっきりオリバーは
スイス人だと思われていたんだ。でも、オリバーは、スイスのパスポートを持ったことが
なかった。彼はドイツ人であり、またイタリア人だったんだ。
 多分、その時スイスの人々は、自国サッカー協会の内幕について詳しくなかった。
スイスの青年が海外で成功しているとしか報道されていなかったから、そうとしか
思われていなかったんだ。
 でも、スイス国籍を得たいかと聞かれるまでもなく、スイス人ではないという
オリバーの意思は明白だった。この件について、スイスサッカー協会側は、協会内で
討議した後、1週間後にもう一度オリバーと協議の場を持ちたいと申し出たんだが、
しかし、オリバーはそれに耳を貸すことはなかった。」

 1996年、エヴァルト・リーネンは、この一連の動静に着目していた。
 「その時、ユップ・ヘインケス監督(現ボルシアMG監督)はテネリフェの監督を
務めており、そしてエヴァルト・リーネンは、そのアシスタント、そしてスカウトだった。」
パウリは言う。「ヘインケス監督は、彼を中盤の左サイドや右サイドでしか使わなかった。
それは、良くはなかった、適役ではなかったんだ。そして、リーネンがブンデスリーグの
ロストックに移籍したとき、彼はオリバーを引き抜き、一緒に連れて行った。」

 その地で、オリバーは、13・14ゴールを叩きだすというめざましい活躍を見せ、
エース・ストライカーの地位を取り戻した。
 そして、彼は、当時の代表監督ハンス=フベルト・フォクツによって代表チームに
招集された。スイス生まれだったため、その道のりは紆余曲折を経ることになった
のであった。


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